ゆる介護と自分時間

母の世話と自分の暮らし

娘はツラいよ

今日は朝から雨。


母の住む町も当然雨だ。


昼頃、母からの電話。
「退屈だからさー、美月何してるかなと思ってー」


雨だからいつもお茶飲みに来てくれるおじいちゃんも来ないのだ。
きっと寂しいのだろうな。
行ってあげなかった自分を責めたくなる。


だけど、
あたし、昨日も認定調査で実家に行って、母と半日過ごし、お昼ごはんも一緒に食べた。
今日は休ませてもらってもいいのじゃないか?


周りの一言ですぐ不安になってしまう自分。


図太くないた~~~い!

認定調査

今日は母の介護保険の更新のための認定調査がありました。


調査員さんと母の話を聞いていると、母はいまだに元気だった頃の気持ちで生きていることがよくわかります。


「ひとりで買い物だって行ける、ゴハンも作れる、洗濯もする」


ウソうそ、家事はすべてわたし任せ。

本人は生活に困らないから、これまで通り自分でやってるつもりなんだな。


お気楽かあちゃんだなー



なんか、もう認知症じゃない母には会えないんだなぁと諦めの気持ちになりました。

もう悲しくはない。むしろ覚悟ができた感じ。


少しばかり前へ進めた気がします。

反省しきり


今は無職ですが、8月まで福祉用具の仕事をしていました。


だから、介護保険のことも実際の介護も知っているつもりだったし、認知症の方にもたくさん会ってお話ししてきて慣れてるはずだった。


退院して、歩けるようになるまでショートステイを使って、帰宅したらデイサービスでお風呂入って…


わたしの理想の介護だったはず…



だけど、認知症の人の家族になってみたらタイヘン!


繰り言を聞かなきゃならないし、話のつじつま合わないし、ショートステイやデイサービスは嫌がるし。
いすに座ったきりでぼーっと一日過ごす姿は悲しいし。


どんどん母に対するコトバはきつくなっていくし、イライラMAX!



だけど、1か月以上経ってようやく気付いたんです。
これって母に合ってないんじゃないの?


わたしのただの押し付け。


母が何ができて何が無理なのか、見てもいない。
デイサービスだって目的を明確にせず、なんとなく、介護といえばデイサービスだから行かせている。


ごめんよ、母。
あしたから母中心でプロにお世話になる介護をしていきましょう。



群馬県伊勢崎市の小泉稲荷神社に行きました。
鳥居もコンコン様もいっぱい。